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最高裁判所第一小法廷 昭和41年(オ)77号 判決

上告人

古川恒二

代理人

矢野宏

被上告人

中小企業金融公庫

代理人

小尾三郎

代理人

鵜沢晉

上野隆司

主文

原判決を破棄する。

本件を福岡高等裁判所に差し戻す。

理由

上告代理人矢野宏の上告理由について。

消滅時効を援用しうる者は、権利の時効消滅によつて直接利益を受ける者に限られるが、他人の債務のために自己の所有物件につき抵当権を設定したいわゆる物上保証人もまた被担保債権の消滅によつて直接利益を受ける者というを妨げないから、民法一四五条にいう当事者として右物件によつて担保された他人の消滅時効を援用することが許されるものと解するのを相当とし(当裁判所昭和三九年(オ)第五二三号、第五二四号、同四二年一〇月二七日第二小法廷判決、民集二一巻八号二一一〇頁参照)、また、金銭債権の債権者は、その債務者が、他の債権者に対して負担する債務、または前記のように他人の債務のために物上保証人となつている場合にその被担保債権について、その消滅時効を援用しうる地位にあるのにこれを援用しないときは、債務者の資力が自己の債権の弁済を受けるについて十分でない事情にあるかぎり、その債権を保全するに必要な限度で、民法四二三条一項本文の規定により、債務者に代位して他の債権者に対する債務の消滅時効を援用することが許さるものと解するのが相当である。

ところで、上告人は、本訴において、訴外成松正雄は、訴外日本農林株式会社(以下「訴外会社」という。)が被上告人に対して負担する債務のためにその所有の本件不動産に抵当権を設定して物上保証人となつたものであるところ、右成松の債権者として、成松が被上告人に対して行使しうる、訴外会社の被上告人に対する債務の消滅時効の援用権を同人に代位して行使する旨主張するものであるが、被上告人は、訴外会社に対して金一〇五万三六〇一円の債権を有していたが、右債権はおそくとも昭和三四年一月二三日の経過によつてその消滅時効が完成した事情にあること、成松が右被上告人の債権の担保としてその所有の本件不動産に抵当権を設定して物上保証人となつたものであること、および上告人が成松に対して元金三〇万円および元金一〇〇万円の二口の債権ならびにその各遅延損害金債権を有することは、原審の確定するところであるから、成松は、訴外会社の被上告人に対する債務についてその消滅時効を援用しうる地位にあつたものというべく、したがつて、その債権者である上告人は、成松の資力が自己の債権全額の弁済を受けるについて十分でない事情にあるかぎり、同人に代位して訴外会社の被上告人に対する債務の消滅時効を援用しうるものといわなければならない。

してみると、物上保証人がその被担保債権についての消滅時効を援用することは許されないとして、上告人の主張を排斥した原判決には法令の解釈を誤つた結果、審理不尽をおかした違法があり、右の違法は判決の結論に影響を及ぼすことが明らかであるから、論旨は理由があり、原判決は破棄を免れない。そして、本件は、右代位権行使の要件である成松の弁済の資力の程度についてなお審理を要するから、これを原審に差し戻すべきものとする。

よつて、民訴法四〇七条に従い、裁判官松田二郎の反対意見があるほか、裁判官全員の一致で、主文のとおり判決する。

裁判官松田二郎の反対意見は、次のとおりである。

消滅時効の制度は、債権不行使という事実状態が継続したとき、その長い間の事実状態を尊重して、権利の上に眠る者を保護しない制度であるが、債務者が債務を履行すべきことは、道義上当然のことであり、いわば自然法上の要請ともいうべきであるばかりでなく、もし、私法上において一定期間の経過により当然に消滅時効の完成による債務消滅の効果が債務者に及ぶものとするときは、その利益を享受することを欲しないで誠実に債務を履行しようとする者の意思を無視することとなろう。そこでわが民法は、時効の利益の享受をば当事者の援用によるものとし(民法一四五条)、すなわち、その援用を専ら当事者の意思に繋らしめているのである。しかるに、債権者代位権の制度は、債権者において債務者の意思にかかわりなく債務者の有する権利をば行使し得ることを認めるものである以上、権利を行使するか否かが専ら債務者の意思に委ねられている権利については、この代位行使が認められないのである(同法四二三条一項但書参照)。そして、前述のごとく消滅時効の援用は専ら援用権者の意思に繋らしめられているからには、債権者が債務者の有する消滅時効援用権を代位行使するがごときは許されないものと考える。そしてこのように解することは、消滅時効を援用し得る者は権利の時効消滅によつて直接利益を享受する者に限られる趣旨にも副うものである。

しかるに、多数意見は、債権者による債務者の消滅時効援用権の代位行使を肯定するのである。今、もし、多数意見に従うときは、多くの不当の結果を生じる。多数意見に従えば、たとえば、

(1)  商人が経営上の難局に遭遇し多額の債務を負担しながらも、消滅時効にかかつた債務につき、時効を援用する意思なく、挽回の上将来これを支払うことを心掛けているとき、たまたま同商人に対する一人の大口債権者が、その商人に代位して同人の消滅時効を援用して多くの債務を一挙に消滅せしめ、これによつて自己の債権の保全をはかることが可能となろう。このような結果を是認し得るであろうか。

(2)  一人の債務者に対し二人の債権者があり、その額が等しく、しかもいずれも消滅時効にかかつているとき、そのうちの一人の債権者が債務者に代位して他の債権につき消滅時効を援用してこれを消滅せしめ、自己の債権の保全をはかることも可能となり、かくて他人に先んじて時効を援用した債権者のみが弁済を受け得ることとなる。しかし、その不当なことは明らかである。

今本件についてみるに、原審の確定したところによれば、上告人は訴外成松正雄に対する自己の債権保全のため、債務者たる成松に代位して同人の被上告人に対する債務につき消滅時効を援用したというのであつて、多数意見はこの時効援用を肯定するが、私は叙上の見地に立つてこれを否定するものである。従つて、私は本件につき結局多数意見と結論を異にし、本件上告を棄却すべきものと考える。(入江俊郎 長部謹吾 松田二郎 大隅健一郎)

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